Teaching振り返り

昨年の八月に助教として着任してから、3セメスター目が終わった。最初のセメスターは授業が免除され、研究室のセットアップに集中させてくれるのだが、今年の春・秋セメスターと授業を担当し始めたため研究がしばらく停滞してしまった。研究そのものにはある程度自信は持っているのだが、アメリカでの授業やアウトリーチとなると経験がほぼ皆無だったので随分と苦労した。いい授業を作り上げるのは想像以上にむずかしい。また、毎日きちんとスケジューリングしないと、授業や各種委員会(対してやってないけど)の「合間」に研究を進められないと痛感した。もともと一日の時間の使い方をカチッと決めるタイプの人間なので、慣れたら研究を進める時間も十分にとれたが、もとから緩いスケジューリングで進めている人はすぐに破綻するだろうなぁと思った。 私は1セメスター2コース(4-6クレジット分)の担当なのだけど、各コース週に三時間はインストラクションをしなければならないので、毎週6時間分の講義やら実験を準備し提供する必要がある。授業が始まる前に、「こういう授業を教えてください」みたいなガイダンスがある、、、わけではない。内容は完全に授業の担当者まかせ。よく言えば自由なのだが。アメリカで一切教育を受けた経験を受けたことがない私にとって、この「自由」は恐怖だった。アメリカの教育のスタンダードがまったくわからないし、そうした状況をわかってくれる同僚もいないというのは中々つらい(外国人教員は多いが、大半はアメリカでPh.Dを取っている人なので)。 各セメスター15週あるので、総計30時間をうまく構造化しなくてはならないのだけど、少なくとも春のセメスターは、受け持ったコースの全体像をまったくイメージできぬままスタートしまった。これはよくなかった。最終的なゴールが明確でないので、個々のピースがいろんな方向むいたまとまりのないベクター集合のようになってしまい、受けている学生も迷子になったのではないかと思う。そしてセメスターの半ば、コロナの拡大を受けて授業のOnline移行が通達され、授業はよりまとまりのない感じになってしまった。 この反省をうけて、秋学期の担当分はかなり改善された授業を準備できたように思う(もちろんまだ十分とは思えないが)。一つは履修人数が100人を超える大きいコースだったのであまり教え方に選択の余地はなかったが、院生の授業のほうは小規模だったので「理論と実証をつなぐ」をテーマになかなか楽しいコースにできた(と信じたい)。私自身、このコースの時間は学生と一緒に議論するのがすごく楽しみだった。 理論は数式を見ているだけだとどうしてもわからないまま進んでしまうので、Rを使って自分自身で「図示」してもらうことをふんだんに取り入れた。扱った理論は極めて基本的なものだったけれども(個体群動態モデルやロトカーヴォルテラ方程式など)、図示という作業を挟むだけで随分と理解度が違ったようだ。そうした理論の説明のあと、その理論と関連する実証研究の論文をみんなで読み、授業までに3つの質問を用意してもらうような形にした。この質問を事前に用意してもらう、というのはやってよかった。一度わかってしまうと「わからなかった頃」の感覚が分からなくなってしまうので、これを提出してもらうと「何がわからないのか」をこちらで事前に把握でき、授業中のフィードバックが容易だった。 しかし、こうした授業、特に英語論文をもとに議論する授業をもってみて感じるのは、英語が公用語であることの強みだ。私が学部生や大学院生のころ、少なくとも英語論文を読んで授業で議論するなんてことは絶対できなかったと思う。そもそも論文英語がちゃんと読めないからだ(まともに日本語で議論できるようになったのは博士2年目あたりからだろうか)。しかしこちらでは、論文を学生にアサインし、要約してプレゼンして、といえば見事にまとめてくるし「何がわからないのか」もはっきりしているので教えやすい。また、私自身、毎日こういう場にさらされる中で、「感覚的におかしい英語表現」というものもわかるようになる。スポーツ選手などとは異なり、研究者は「英語表現力」がそのまま研究成果の表現力なるので、ここになんともいえない理不尽さを感じる。こういう理不尽さを知るものとして、こちらでそうした事実を発信していったほうがいいのかもしれないと思う一方で、発信したところで理解してもらないだろうなぁ、という虚しさも感じる。こうした感覚は、いわゆるマイノリティーやシステマティックバイアスの問題一般に通ずることなんだろう。

アメリカに、いらっ

アメリカ四年目も半分を過ぎた。長くいると「これだからアメリカは嫌なんだよ!」と思っていたものにも愛着がわき始めたりする。そんなものの羅列。 七変化する名前 スターバックスでコーヒーを注文をすると「名前は?」と必ず聞かれる。コーヒーができたとき、名前で呼びかけるからだ。だけども、日本人の名前はなかなか正しく聞き取ってもらえないために名前が七変化する。私のスペルは「Akira」だけども、ざっと思い出すだけでこれだけのバリエーションが。 Akiru、Akaru、Aquila、Akila、Akee Akeeはないだろ!最近はもうめんどうなので、「A」と伝えるようにしている。また聞きだけど、いろんな名前の書かれたコップをコレクションしている人もいるらしい。ユウサクというの名前は「YOU S*CK」に聞こえるらしく、定員さんがおののくという。 炊飯器 日本の炊飯器のハイスペックさに驚きを隠せない。アメリカに来てからしばらく鍋炊していたが、2年目から炊飯器を買った。しかし、設定が雑すぎて「Cook」と「Warm」の二択しかない。コンセントをさして、設定がWarmのままなのに気付かずにいると地獄をみる。数時間後、生暖かいべちゃべちゃのなにかができる。ふっくら炊きとか、そういうのが欲しいんだ。炊飯器を日本で買って持っていきたいけど、国際線に炊飯器をもちこむ勇気はない。誰か送って。 段ボール捨て場 アメリカはとにかくおおざっぱなので、ごみ収集のコンテナとかもやたらでかい。うちのアパートでも、レンガに囲まれた場所に段ボール用のコンテナが入れられている(緑のがコンテナ)。レンガのほうには入れやすいように切れ込みが入った親切設計なのに、それをガン無視するコンテナの存在感。このコンテナ、結構背がある(1.7mくらい)ので毎回ぴょこぴょこしながら投げ込まなければならない。こういうアメリカの雑さがいらだちを通り越していとおしい。 つまみ うちのエアコンはつまみを動かしてOn, Offを切り替えるけれども、なぜか冷房とか暖房の順番が「Cool」「Off」「HEAT」「EMER」となっている。家を出るとき、つまみを左端までべちっとやれれば楽なのに、ああ、冷房にしちゃった!みたいなのを繰り返して毎回MPを20くらい消耗する。これは純粋に いらっ とする。

論文英語の差別問題

我々日本人が学術論文を発表する際、誰にとっても大きな障壁として立ちはだかるのは「英語」であると思う。少なくとも私の分野では、研究成果は英語論文として国際学術誌に発表しなければ研究業績としては評価されない(職に応募する際に、競争的になれないという意味)。もちろん日本語で論文を書くほうが意味をなすことも多いが(生物多様性保全の分野など)、若手がそれをやると職に就けずに路頭にさまようことになる。しかし、私を含め多くの学生は大学院に入るまでそんな事実など知らないし、私も修士課程に入学当初、ポスドクの人が英語で論文を書き上げているのをみて仰天した覚えがある。絶対できないと思った(実際やればできるのだけど)。この問題は経験を積むにつれ解消される部分もあるが、やはり英語を母国語とする人の文章にはかなわないところは当然ある。論文を投稿し、内容の新規性は認められつつも英語の拙さを理由にリジェクト(掲載不可)されることも確かにある。先日、このことを差別として強く批判する内容がMLに流れており、それをみて思うところがあったので書き残しておこうと思う。 先に述べた「論文英語の差別」問題と必ずしも同じではないが、海外に住むと言語による疎外感、差別感を感じることは少なからずある。私は2017年からJSPSの海外学振の制度を利用してミネソタ大学に2年と少し在籍し、2019年の8月からはUNC Greensboroで働いている。渡航前から多少は英会話に慣れておいたつもりではあったが、やはり現地で支障なく生活するには遠く及ばない。4年目を迎えた今でもコミュニケーションがうまくいかないときがある。こういう時、相手を気遣いながら会話をしてくれる人もいれば、あからさまにめんどくさがる人、なかには嘲笑の笑みを浮かべながら話してくる人もいる。大体後者に真に優秀な人はいないので、そういう人とは単にお付き合いしないようにすれば済む、、、とも思えるのだが、そういう人が部署の要職についていたり、研究資材のお得意先だったりすると非常に困る。耐えるしかないのだ。 と、ここまでであれば単なる「海外生活って大変だよね」という話で終わる。しかし、この経験を踏まえたうえで自分が日本にいた時の経験を振り返ると、とても恥ずかしい気持ちになる。日本の大学にも他の国からくる留学生が多いが、彼ら・彼女らの立場になって何が大変かを考えることができていたかどうかというと、全くできていなかった。自分が米国に来た時、ただ運転免許証をとるだけでもやたら難しく感じたし、車の路上トラブル時にきちんとAAA(米国版JAF)を呼べるかどうか、病気になったら病状をきちんと説明できるかどうか、床屋できちんと「短めでお願いします」といえるかどうか、税金の手続きは…あげればキリがないが、あらゆることに形容しがたい不安が伴う。「当たり前」が「当たり前でなくなる」ことに対する不安なのだと思う。これは経験して初めてわかる類のストレスである。私の場合、言語が英語なのでなんとかなる部分が多いが、日本に留学してくる人は日本語で対応しなければならないし、書面も日本人にすら不可解なものも多い。こうした中で、留学生の人たちがどう耐え忍んでいるのか、想像するだけでもつらい。日本人の留学生への理解度についてみても、米国のそれよりも遥かに劣っているだろう。いつぞや、日本語が話せないまま運転免許試験を受けにきた中国人がおり、その人が日本語を理解できないのをみるにつけ、「これだから、、、日本語できるようになってから来てくれないと困るねぇ」と厭味ったらしく罵声を浴びせた試験官がいたこと思い出す。私が仮に米国でこんなことを言われたら、間違いなく死にたくなる。 話を元に戻すと、先の「論文英語の差別問題」には、この要素が大きく関与していると思う。英語話者の人たちは、非英語話者がどういう英語環境に置かれているかのまったく知らないのである。ある時、日本人の大学院生は論文英語の読み方から指導が始まる、みたいのことを飲み会で話したら、同僚は腰を抜かすほど驚いていた。それほどまで言語の壁は大きいということに、英語話者は気づいていない、あるいは知る機会がない。これはうえで述べたように、「日本から出るまで海外で住むことのつらさをまったく想像できなかった」のと一緒で、経験しないとそのつらさはわからない。 被害者側になると、いかにその問題が大きなものであるかを認識することができるが、する側に「そんなつもりはない」ことが多い。「論文英語の差別問題」を考えるとき、この問題意識の改善から行っていかないと、根本的な問題の解決にはつながらない。つまり、英語話者に、英語の通じない国で長期生活してもらうくらいのことをしないとわかってもらえないと思う。だからこそこの問題は根深く、いつまでたっても改善しないのではなかろうか。だからといってこの問題を放置していいとは思わないが、自分たちが一方的な被害者であることを主張するくらいならば、今一度、自分がしてきたことを振り返り、そこから改善策を探るというのも悪くはないのかもしれない。なにも思いつかないけれど。 (蛇足:ただ、日本人の英語は本当に改善の余地はありすぎるというか、ひどいというか、これは日本人の私がみても思うので、そういうことなんだろう)

ハゲを励ますブログ

プロローグ 毎日眺めている自分の頭。ある日、違和感を感じる。 あれ、うすくなってる? いいや、そんなはずはない、気のせいだ。これは寝ぐせだ、寝ぐせ。そんな自己催眠もむなしく、「あれ、なんか髪、薄くなった?」という友人の一言に世界は灰色になる。そんな人たちを励ますためのエントリー。 薄毛に悩む男性のための美容室 ヘアデザインで人生を変える Change Your Life これは美容室INTIのキャッチコピー。なんとこの美容室、カットのみで薄毛が目立たない髪型にしてくれるというので驚き。リンク先にはM字ハゲから植毛手術後のケアまで、あらゆるケースを想定していることが記されている。我々薄毛男児の見方だ!先日開催されたOnline飲み会では、すでにそこでカットした方がおり、いたく感動されていた。私も行きたい、この美容室に。調べてみると、東京や大阪、福岡など、日本の大都市にはおおむね支店があるようだ。人生を、変えたい。 ヘアケアビジネスによる陰謀説 これは単なる私の仮説だけれども、実は、薄毛を直せる薬は実はもう完成しているのではないだろうか?もっと正確にいうと、技術はあるにも関わらず、商品化できないだけではなかろうか?というのも、「薄毛」をめぐる市場はあまりにも大きくなりすぎたと思うのだ。いまや、あらゆる会社がこぞって薄毛改善に向けたシャンプーや植毛技術を開発し、巨額の利益を生み出している。その市場規模はなんと4414億円に及ぶともいう(source)。ここまで市場が大きくなると、「完璧な発毛剤ができました!」なんて発表があった日には、多くの人がおまんま食い上げになる。それゆえ、完璧な薄毛改善の薬の開発には、強烈な圧力がかかっているはずだ ‐ これが「ヘアケアビジネスによる陰謀説」である。誰か検証してくれ。 ハゲと向き合う ハゲルヤーハゲと向き合うウェブマガジン 結論 ハゲと薄毛は治らない。

アメリカ・ノースカロライナにおけるコロナの研究環境への影響

COVID19 2月まで他人事のようにコロナのニュースを見ていたが、ここ2-3週の間に状況は激変した。私の所属する大学(University of North Carolina at Greensboro)でも多大な影響を受けており、着任1年目からなにやらとんでもないことになっている。私の直接の知人でコロナにかかった人はまだ知らないが、4月4日現在、アメリカ全体では30万人超の感染者および8000人超の死者が出ているようだ(ソース:The New York Times)。状況について、簡単に記録を残しておきたいと思う。 授業のOnline移行 3月の1週目、私の所属する大学ではSpring Breakの期間で、初めてのTeachingに疲れ切っていたなかちょっとした休憩を入れているところだった。この時、コロナのニュースをどこか遠い世界のものとしてみていたが、週があけ、授業が再開すると同時に「大学がCloseするかもしれない」という話がはいってきた。そんなアホな、なんて思っていると、次の週(3月3週目)には再度大学が臨時休業状態となり、「3月4週目からのすべての授業をOnlineに移行するから、その準備期間に充てろ」という指示がなされた。その指示通り、3月23日から(一部の例外を除く)すべての授業がOnlineに移行された。  アメリカの大学ではCanvasと呼ばれる授業用のOnlineページがあり、そのページを通じてスライドのシェアや簡単なクイズなども行われる。こうした土台があるため、Onlineへの移行は比較的スムーズ(とはいえ難しいが)にできているように感じる。私は講義とラボ形式の授業を担当しているが、レクチャーのほうは音声付きのスライドをシェアし、ラボのほうはZoomを通じて行っている。私は日本の大学(学部)を卒業してから10年ほどたつから今の日本の授業体制はよくわかっていないが、少なくとも私の頃はそんなOnlineのページは一切なく、パソコンを持っている学生も一部だったように思う。こんな状況がいまなお続いているとすれば、Online移行は非常に難しいだろうと容易に想像できる。  学生の成績についても、大学が成績のつけ方を柔軟に対応できるようにしており、私のところでは、通常のGradeのほかSA(Satisfactory)という単位の出し方も容認している。これらの成績はGPA(卒業時の平均的な成績指標)への反映され方が違うようだ。学生が通常のGrade(A+からFまで)をみてから、通常のGradeかSAかを判断できるようにすることで、この状況にできるだけ柔軟に対応できるようにしよう、というものらしい。 研究環境 一方、研究環境においては非常に厳しい状況におかれている。ノースカロライナ州(およびその他多くの州)では3月末から自宅待機命令がなされており、大学へのアクセスも一部の例外を除き禁じられてしまった。この結果、多くのラボが研究プロジェクトを中断・延期せざるを得ない状況に追い込まれている。私も5月の中旬からフィールドワークを開始する予定だったので、その準備を進めている矢先にこの自体に陥った。結局、大学自体が閉鎖してしまい物品購入もままならない状況なので(送られては来るが受け取れない)、延期せざるを得ない。  今の私の進めているメインのプロジェクトはデータベースが中心だったので、比較的インパクトが小さいほうだとは思う。しかし、ラボ実験がメインの人やフィールドワークが中心のプロジェクトが始まっていた場合には大打撃だろう。しかし、久しぶりにフィールドワークを計画していたので、この状況には落胆をせざるを得ない。 その他 自宅待機命令がなされた州では、レストランの通常営業も禁じられ、テイクアウトのみの影響が許されている状態だ。不要不急の買い物なども禁じられ、警察に見つかると(州によるが)数百から数千ドルの罰金あるいは30日の禁固刑に課されるようだ。ただ、密集することはないであろうハイキングトレイルなどの利用は認められている。週末にいくといつもガラガラのトレイルの見たことのない数の車が止まっており、これは密集というのではなかろうか、と一抹の不安を感じる。この状況がいつまで続くのかわからないが、大学からは最悪秋学期もOnlineになることを視野にいれろと言われている。こんな状況が1年近く、あるいはそれ以上も続くことは可能な限り避けたい。  日本はオリンピックの件もあり、感染者数の隠蔽工作がだいぶあったように邪推しているが、実際のところどうなのだろう。最初のとりかかりの遅れが、来年のオリンピックまで尾を引き結局中止になる、なんという自体にもなりかねないかもしれない。

研究費の申請書の英語化について

UNCに着任してから7か月がたち、1月からはTeachingも始まった。今学期はAquatic Ecology(75分、週2)とそのLab(3時間、週一)という感じなのだが、なにもガイダンスもないまま「任せた!」みたいな感じで放り投げられるので、いろいろとミスしている。そもそも変な時間帯に授業時間をセットしてしまったようだ、知らずに。授業中も「マジ何こいつの英語」という学生の視線に気付きながらも、強い気持ちで授業を展開している。いや、嘘だ。すごいナヨナヨだ。これも数年すればまともになるのかなぁ(遠い目)。ただ、それなりのプレッシャーがあるので、準備のために1000p程の教科書を読み直し、だいぶ論文[特に数理]も読み直した。これはこれでいい勉強と思うことにする。さて、そろそろ本題の研究費申請の英語かについて書く。 研究費申請のあれこれ 研究費申請についていろいろ経験したのでシェアしたいと思う。こちらの研究費申請の書類はもちろん英語なのだが、日本の科研費の書類と異なり、随分と重厚な計画が求められる。NSFの場合、計画部分だけで15ページ+引用文献リストという感じで大体20ページくらいになる。これらにサポートレターとか、予算申請額の細かい情報も付け足していくと、最終的には80Pから100Pくらいの書類が出来上がる。査読する側もご苦労さんです、という感じ。しかし、NSFしか今のところ大規模なものは経験していないが、英語で書くということは、そのまま論文にできるピースが一通りそろう、というのはいいところだなぁと感じた。日本語の場合、研究費申請と論文書きが完全に分離してしまうので、その点は日本語のほうが大変と感じる。 こうしていろいろ書きながら思うのは、いまだに日本の研究費申請はなぜに日本語なんだろう、というところ。分野によっては日本語が主体となるものもあるので統一的にするのは難しいだろうけども、海外学振のような海外向けの申請書は英語にしなければならんでしょう、さすがに(英語で書くことも許されているけれども、現状では審査上不利益を被ることが見え見え)。というのも、いま、学生やポスドクを受け入れる立場になり、幸運にも中国から申請があった。その学生に聞いたところ、中国の(海外渡航向け)申請書はすべて英語に統一されているようで、この時点で何かもう、だいぶ負けている気がする。その学生の申請書も完璧にはほど遠いけれども、きちんと読める英語の文章だった。日本、大丈夫か。 英語にするメリットとして査読を海外に投げられる、というのがある。私の分野(Ecology)ではイギリス生態学会がまさにこのシステムを取り入れており、研究費用の有志による査読者プールを作っているようだ(link)。欧米の変な競争原理とか資金集中とかそんなところは真似ずに、こうした有効なシステムこそ真似てほしいと思うのだが、いかんともしがたいのだろうか。 ただそれ以前に、日本の一番の問題は、こうした意見があっても、権限をもつ人間へそれを届ける術がないところに起因する気もする。いつまでたってもTwitterの中でいかにも正論がぐるぐる回るだけで、何も改善にはつながらない。このブログもその一つだけれども。対照的に、アメリカの大学でファカルティとして働き始めて驚いたが、学部長レベルの人が定期的にAssistant Professorと話す機会も設けているのだ。下から間を挟まずに意見を通す機会がある、というのがアメリカのいいところかもしれない。日本はどうなのだろう、多くの場所ではないような気がする。

日本という国の閉鎖性

UNC Greensboroに異動してから3か月がたち、モノがわからないなりに何とか回している(と信じたい)。最初のセメスターはラボの立ち上げということでTeaching offになっているのだが、結局代行などでちょこちょこ教壇に立つ。手探りで授業をしてみると案外できることがわかり、次のセメスターも何とかなりそうだという感覚が得られつつある。しかし、ラボスペースの改修工事が遅れに遅れ、やっと10月の終わりに荷物を運びこんだ。この段ボールの山を整理しなければならないと思うと気が滅入る。 さて、現状はこんな感じなのだが、この数か月の間で「日本の閉鎖性」を改めて感じさせられることがあった。今回この研究室を立ち上げるにあたり、日本と海外の繋がりの要になるような場所を作りたい‐そんな風に考えていた。日本の人材を学生やポスドクという形でリクルートし、国際交流の活発なラボにできればと妄想していたのである。しかし、この考えが甘いということにリクルートし始めてから気づいた。そう思った経緯を書き残しておきたい。 そもそも、なぜ日本人のリクルートを頑張りたいと思ったかというと、理由は二つある。一つ目は、日本人が平均的に見て能力の高い人材が多いこと(特に数学)。二つ目は、自分自身「海外に行きたい」と強く思いながらも、キッカケが作れずに思い悩んでいた時期が長かったので、そんな人の手助けになる場所にしたいということがあった。マヌケな私は、「博士課程の学生、あるいはポスドクとして人材をリクルートすればよい」-そう単純に考えていた。アメリカ向けのMLやJob Boardだけでなく、日本向けのMLにも情報を流して応募を待った。博士課程の学生については、アメリカ国内だけでなく、ヨーロッパやアジア諸国からも応募があった。しかし、日本からの応募はないどころか、問い合わせすらなかった。 単純に、海外に行くのに日本人PIのラボで研究するなんて、ということだったのかもしれない(あるいは私があまりに魅力がなかったか)。しかし、もしこれが海外進出に対する日本人の姿勢を少なからず反映しているとしたら、それはとても残念な状況だと思う(以後、そう仮定して話を進める;異論は認めない)。むやみに海外に出たほうがいいとは思わないが、「海外も視野にいれて進学先を選んだほうがいい」のは真実だろう。なぜなら、海外のほうが日本より優れている点は多々あるし、学生の内に海外に出るほうが人脈形成の点からみても利点が多いからだ。例えば、アメリカの大学院のプログラムは給与を支払うのが一般的なので(私の大学では$25000/y+学費免除)、経済的な面で言えば日本の博士課程よりもよっぽど心配がない。そのほかにも、学生時代の繋がりはその後の人生を非常に豊かにしてくれると思う。私は30歳でポスドクとしてアメリカに来たけれども、やはり学生時代にしかない感覚があるように思う。 どうして、日本の学術界はかくも閉鎖的なのか。上に書いたことと矛盾するかもしれないが、たぶん、日本の学術界は「十分優れている」のだと思う。要するに、海外に出ずとも研究成果を世界に向けて発表することは可能であるし、(競争があるとはいえ)他のアジア諸国に比べれば研究職は多い(はず)。個人の努力と才覚次第では、NatureやScienceも十分狙えるのだ。ふと、こう思うこともある。「著名な学術雑誌にいい論文を発表することに特化する」、これも一つの戦略なのでは、と。 しかし、私が一番研究をしていて「楽しい」と感じた瞬間は、「その研究、面白いね」と生い立ちも使う言語も違う人から言われた時だった。ああ、これまでの人生で全く接点がなかったのに、同じものを見て面白いと思えるんだなぁ、と。そもそも、研究の根幹には「客観的知識・知見の共有」があり、それはコミュニケーションに他ならない。「いい雑誌に論文を載せる」という「作業」に特化したとき、そこに研究することの楽しさがどれだけ残されているのだろうか。日本の研究の質は高いし、面白いと思う。しかし、何か「日本が置き去り」にされている感覚がぬぐえないのは、母国語以外で研究成果の共有を強いられる中で、研究の「コミュニケーションツール」としての機能が損なわれた部分があるからではないだろうか。閉鎖的な大学や研究環境を改善しない限り、こうした傾向は強くなるのは確かだろう。それがいいことなのか、悪いことなのか、私にはわからない。ただ、いたい場所かと問われると、それはどうなんだろうと思う。

恥ずかしい英語の間違い

Summary アメリカに来て二年が経ったが、いまだに恥ずかしい英語の間違いを繰り返してばかり。そんな失敗談のまとめ。 No thanks だれも知り合いがいない国際学会に一人で参加し、Burger Kingに行った時の話。当時(博士課程2年)、英語がおぼつかないながらも何とかハンバーガーを注文し、席で普通に食べていた。そうすると、店員の人がテーブルを回りながらお客に声をかけている。 "How XXXing?" 断片的にしか聞き取れていないのでなんのやり取りなのかさっぱりわからない。そしてついに私のテーブルにも来て、何やら同じようなことをしゃべりだす。何を言っているかわからない。だけど何か返さなければならない。そんな中、私は必死になにか手掛かりとなる情報を探し、その店員さんがケチャップとマスタードを持っていることに気が付き、これは「ケチャップいる?」とかその辺を聞いているに違いない!と合点した。味はしっかり濃い目だったので、調味料の類はいらないと思い、自身満々でこう答えた。 "No thanks" 周りの人たちが「ぎょっ」とし、店内の空気が凍ったのを覚えている。店員はバツの悪い笑顔を浮かべて去り、なにかこちらを睨みつけながら他の店員と話している。いったい、なにが起こったのだ。 あとあと思い返すと、おそらくあれは "How is everything?" と話しており、「ハンバーガーどう?」みたいに聞いていたのだと思う。それに対して私は、「全然ないわ」みたいな返しをしたことになる。ああ。 What are you working on? ポスドクの飲み会があり、それに参加して話していた時の話。目の前でビールを飲むブラジル人のポスドクがいたので、なんの研究をしているのか聞いてみようと思い、"What are you working on?"と聞いた。そうすると、 "I'm working on beer." と返ってきた。確かにそうだ。彼はビールを飲んでいる。無意味に現在進行形にしてはならないことを学んだ。 Everything 同じ部屋にいるポスドクにペンを借りようと思い、声をかけた時の話。貸して、というと(パンパンのペン立てを見せながら)どのペンがいいと言ってきたので、どれでもいいよ(Anything)、というつもりで "Everything" と答えてしまった。今でも恥ずかしい。 XXXgraXXX アメリカに住んで1年半がたち、次のポジション探しをしていた時の話。海外学振の任期は2年間なので、そろそろ次の当てを見つけなければならない。そう思い、アメリカと日本のポジションに応募していた。アメリカのポジションはすべてOnline Applicationなので楽なのだが、日本のポジションは海外からでも郵送で応募しなければならない。その時、応募書類のデータをCDに入れて送ってください、とするポジションがあり、(それだったらメールで出させてくれよ、とか思いながら)USPSの事務所に郵送手続きに向かった。 受付の姉ちゃんに封筒の中身は何だと聞かれCDだと答えると、「~でないこと」を証明する項目に署名してくれといわれるが、~の部分がXXXgrXXX contentsとしか聞こえず、「え?え?」と聞き返しまくった。そうすると、姉ちゃんの機嫌はどんどん悪くなってゆく。そこで目を落として書類を見ると Pornographic と、書いてある。あぁ、そうか。エッチなDVDを国外輸送されると困るから、そうではないことを証明してくれといっていたのか。どうやら私は、USPSの受付の姉ちゃんにPornographicを連呼させるという離れ業をやってのけたらしい。ごめんなさい。 Can I borrow a restroom? 友人の家に招かれ鍋をしていた時の話。トイレに行きたくなったので「トイレ貸して」のつもりで "Can I borrow a restroom?" というと、友人は軽く笑いながら"No"といった。え、マジ、と困惑していると、理由を教えてくれた。Borrowはペンなどのように「持ち手から”取って”借りる」場合を指すらしく、今回の場合のように使うと「トイレ丸ごと持ち出して借りてもいい?」という意味になるらしい。みなさん、Useを使いましょう。

J1 Visa: Two Year Ruleの落とし穴

Summary 注意事項 以下の記載内容は、筆者の個人的な経験をまとめたものにすぎません。間違いがないよう気をつけましたが、本記事の情報をもとに不利益を被ったとしても一切の責任を負いかねますのでご留意願います。 経緯 現在J1ビザでアメリカに滞在している私は、8月から始まる新しい職に就くためにH-1Bビザに切り替える必要があった。しかし、この関係で非常にややこしい問題にぶち当たった。J1ビザに伴う帰国義務(2年ルール)に課されていないものと信じていたのだが、実は課されていることが判明し、H-1Bビザに申請できない状態に陥ってしまったのである。この経緯について、今後同じような問題に陥る人が少しでも減るよう情報をまとめておきたいと思う。 J1ビザの帰国義務(2年ルール) J1ビザとは、知識の国際交流を目的に創設されたアメリカのビザのカテゴリーであり、その取得の容易さから多くの研究者がアメリカに長期滞在する際に利用している。しかし、その容易さと引き換えに制約がある。それが今回の問題の発端となった2年ルール(Two-Year Home-Country Physical Presence Requirement)である(参照)。このルールは、アメリカで経験を積んだのちに最低2年間は母国で過ごさない限り(もしくは帰国義務免除が承認されない限り)、Hビザやグリーンカードなど、特定のビザに申請できなくなるというものだ。ただし、このルールはJ1ビザで渡航している人すべてに課されているわけではなく、以下の条件のいずれかを満たした人に課されるとされている(アメリカ国務省のWEBページにより;参照)。 Government funded Exchange Program - You participated in a program funded in whole or in part by a U.S. government agency, your home country’s government, or an international organization that received funding from the U.S. government or your home country’s government. Specialized Knowledge or … Continue reading J1 Visa: Two Year Ruleの落とし穴