Onlineセミナー

3月23日9am(3/22、7pmアメリカ東部時間)より、北大のオンラインセミナーで発表する予定です。お時間がつきましたら是非ご参加ください。以下、要旨です。 要旨: 対象とするシステムの中にシンプルな一般則を見出すことは、科学の根幹をなす営みであろう。しかし、生態学において一般則を見出すことは容易ではない。なぜなら、生物間相互作用や生物-環境間の関係は非常に複雑なものが多く、そこに見られる生態現象は状況依存的になりがちだからである。しかしながら、生態学には一般則と呼ばれるいくつかのパターンが存在する。その一つが空間によるスケーリングである。一般に、生態系のサイズが大きくなるほど、そこに内包される環境の異質性や集団・群集サイズは増加する。その結果として、メタ個体群の動態の安定化や種数の増加、さらには食物連鎖長の増加などがみられる。しかし、こうした空間によるスケーリングは、2次元的な平面によって近似できる生態系には有効だが、より複雑な空間構造をもつ生態系には必ずしも当てはまるとは限らない。私はこの観点から、複雑な分岐構造をもつ河川ネットワークに注目し、いかに生態系の空間的な複雑性(河川ネットワークの分岐の程度)が生態現象に影響を及ぼすのかを検証してきた。その結果、河川ネットワークの分岐構造が複雑化するほど、種レベルのメタ個体群の長期動態は安定化し、流域レベルでみた種多様性(γ多様性)も増加することがわかってきた。これらの現象を支える仕組みは状況に応じて変化すると考えられる。しかし、結果として現れるパターンは、種や地域を超えて共通していた。本発表では、これらの発見の元となる理論モデルの枠組みやその予測を検証した実証研究について発表したい。現在は、これらの枠組みを共生系および食物網へと拡張しているところである。これらの研究を通じ、枝分かれ構造をもつ生態系における一般測(パターン)について、あらたな視点を示したいと考えている。

学振受け入れ先

私の運営する研究室では、海外学振あるいは学振PD、DCの制度を利用した研究員の受け入れを積極的に行っていきたいと考えています。私の研究室では以下のような興味を持った方が特に恩恵を得られると思います。 理論と実証の統合 私の研究室では理論と実証の統合に重きを置きたいと思っています。以下のような興味をもつ人が特にマッチングがよいと考えています。(1)これまでフィールドばかりやってきたが、理論も取り入れてもっと説得力のある研究デザインを組みたい、(2)理論をやってきたが、これからは実証も見据えた理論研究を展開したい。 私がカバーしている理論研究の分野は、生態系におけるネットワーク構造と集団・群集構造の関係、食物連鎖長の制限要因、生物の移動とそれが支える個体群構造に関する理論、などですが、例えば進化的視点を取り入れられるような方が来てくれると私の視点も広がるのでとてもうれしいです。 河川魚類群集のビッグデータ 当研究室では、魚類群集の大規模データにアクセスがあります。例えば、日本の北海道全域およびアメリカ中西部において、20000点を超える場所で調査した魚類群集データ(*)を整備したものがありますので、このデータベースを利用した研究計画を立てることが可能です。時系列データに関しても、北海道であれば100地点以上における20年にわたる魚類群集の継続的モニタリングデータがありますし、昨年には共同研究を通じてグローバルスケールで時系列データを収集したデータベースも出版しています(RivFishTIME)。これらのデータのシェアを通じ、国内外の共同研究者とも積極的に議論をしていく良い機会にもなると思います。また、これらのデータを用い、理論予測の検証に用いることも可能だと思います。 *既存の文献や州政府からデータ提供を受けたものです(私もごく一部のデータは集めてますが)。貢献された方々に感謝。 生物の移動パターン データベースではなかなか得られない「生物の移動」に関するデータを現地で集めています。私の所属するノースカロライナ大学グリーンズボロ校には、サテライトキャンパス(車で20分ほど)に小河川が流れています。ここではちょうどいい種数(Sunfish 3種、Chub 2種が群集の8-9割を占める川)があり、これらの魚種の移動が何に影響されているのかを調べています。長期的なプランとしては、詳細な移動パターン(移動の個体差など)が集団動態の安定性あるいは多種共存にどう関わっているのかを追求したいと考えています。 このサイトを活かしたフィールド研究あるいは理論予測の実証などを特に歓迎しますが、ほかにもザリガニや巻貝などの生物も多数いますので、本人の興味に応じて研究プロジェクトを拡張することも可能です。そのほか、もう少し離れた場所であればもっと原生的な河川でも調査が可能ですので、時間に余裕をもって相談くだされば調整可能です。 +アルファ 補足的な要素として、私は海外学振からアメリカで就職した経歴がありますので、そのあたりの経験をシェアすることも可能です。文化的に日本とかなり異なるところが多いので、そういった意味ではサポートできるかもしれません。アメリカ国内の研究者とのコネクションづくりをお手伝いもできると思います。 連絡先 そのほか、河川-陸域の食物網のつながりや、水系網と鳥類の分布の関係などにも興味があります。もちろん、上記にないようなテーマでも、可能な限りサポートしたいと考えています。興味のある方は照井a_terui at uncg.eduまでご連絡いただけますと幸いです。

研究者もどきの憂い

学振 Twitterを見ていると、学振に受かった・落ちたという投稿がタイムラインをにぎわせている。博士取得後、私は3年にわたり学振(注釈1)に落ち続け(学振PD、海外学振)、不採択の申請書ばかりがむなしくHDDに溜まっていくのがしんどかったのを覚えている(特に2015年申請時に、PD・海外ともに面接で落ちた時はかなりコタエタ)。今は幸いにも、研究室をリードする職を得ることができ、経済的にもゆとりをもった生活を送ることができている。別の形のプレッシャーも大きいのだが(今も4年後のテニュア審査に通らないとぷー太郎に逆戻り)、勝負の土俵に上がれているだけポスドク時(注釈2)の得体の知れない不安よりはマシかもしれない。「このまま何にもなれずに終わるのではないか」という、あれ。 2014年2月、学振に落ち行くアテのなかった私は、某研究室に弾丸出張を行い、(頼まれていもいない)セミナーをしてきた。その結果、温情処置で雇ってもらえた。この時、この研究室に雇ってもらえていなかったら研究者の道をあきらめていたと思う。プロジェクト雇用にもかかわらず、大枠さえ抑えていれば自由に研究をさせてくれ、研究環境という意味においては学振以上だったと思う(自分の業績の9割はこのころのアウトプット)。今の研究も、このころの人脈や経験がベースになっているものが多い。本当に楽しかった。 しかし、もともと予算のないところに無理を言ってねじ込んでもらっていたので、経済的ゆとりがあるわけではなかった(決してこのことに文句を言っているわけではないです)。やる気でなんとかなると思ってたのだが、やはりお金は大事だった。お金がなくなると、人間の本質がでる。自分の場合、まず相手のことを考えれなくなった。何よりも先に家計簿が頭をよぎる。家計簿基準で判断するようになり、本質的にもっと大事であったはずのものを切り捨てたりする。そういう精神状態の中、「いくつ論文を書いたら十分なんだろう」という答えのない疑問が頭の中をめぐり、気が付くと「論文」と独り言をつぶやくようになっていた。申請書は通らない。研究が楽しいからやっていたのか、研究者になるために研究をやっているのかわからなくなる。研究が楽しくなければ、研究者になる意味などないのに。2015年冬、同年に学振PDと海外学振に面接で落ち、これでもかというくらい落ち込んだ時期があった。その話を実家に帰って兄に話すと、軽い笑い話にされたのも「いい思い出」だ。 このころ(27 - 30歳)、友人たちの結婚ラッシュの時期でもあったけど、式にご招待いただいたにもかかわらず、ほぼすべて断ってしまった。ほんとごめんなさい。行きたかったけど、行っていたら次の月に食べるものがなかった。体裁を気にせず親に頼るという選択もあったかもしれないが、両親は私が学部生のころから年金暮らしだったので、さすがにそのお金を食いつぶすことはできないと思った(ただ、一度だけ本当にどうしようもなくなり親に10万円借りた;情けない)。幸い、生態学の分野で研究していると、山菜や釣りで自給自足する仙人のような人が必ず周りにいる。ポスドク3年目の春、車検による経済破綻を経験したが(食料を買う金がない)、友人が行者ニンニクとエゾエンゴサクの取り方・食べ方を教えてくれたことで食に困ることはなかった(+釣り)。もう一度、彼と山菜を取りにいきたい。 渡米 2017年、3度目の正直で海外学振に採用され、4月から渡米した。給料の高さに脱力する(それでも会社勤めの人からしたら普通かそれ以下;社会保障皆無)。このころには論文の「数」は十分と思える程度になっていたが(たしか主著8+共著9)、「これだ」と自分で思える業績はなかった。なので、経済・時間ともにゆとりのあるこの学振期間に(さながらスターをとったマリオ;最強だが期間は短い)ガツンとした論文を出せなかったら研究者の道はあきらめようと自分ルールを決め、二つの研究に焦点を当てて時間を費やした(数は捨て置いた)。また、先輩研究者を見ていると、大学の常勤職(つまり、助教以上)につくと、野外調査に割く時間はほとんどないように思えた。なので、このころに理論研究もできるようになっておいてたほうがいいと思い、シミュレーションモデルを自分で作れる程度のスキルを磨くことにした。ミネソタ大学の受け入れ研究者が人格者であったことも幸いし、いくつか自分の代表作と思える論文を出すことができた。この段階で初めて、「テニュアトラック(*注釈3)に応募しよう」と思えるようになり、ヨーロッパ・アメリカ・日本のポジションに応募し始めた。海外のポジションは難しいだろうと思っていたが、結局日本のポジションにはすべて落ち、アメリカの大学だけが採用してくれた。人生何が起こるかわからない(ちなみに当方、30歳でアメリカにくるまで海外在住経験はない)。 現在 今度は研究資金獲得の争いの中にいる。その不安を前に向かう力にうまく変換する思考回路を身に着けたい。幸せか?と聞かれれば、確かに幸せだ。研究を続けられる立場にいるし、これこそ自分が望んでいたものだ。けれども、その代償となった別の何かを想像し、複雑な気持ちになることがある。器用ではない自分は、「これは必要な犠牲」と言い訳をしながら前に進んできた気がする。それが単なる言い訳であったことに気付くころには時すでに遅しなわけで。 注釈 *注釈1「学振」 日本学術振興会が行っている博士号取得者向けのフェローシップ(学振PD、海外学振)の通称。学振PD では国内の研究者に受け入れてもらう形で、3年間自身の研究アイデアをもとに自由な研究活動を展開するための給与と研究資金が与えられる。一方、海外学振では、海外の研究者を受け入れ先として2年間自由な研究活動を展開するための給与が与えられる。いずれも競争率が高く、私のときは学振PDの採択率が10%を切っていた。 *注釈2「ポスドク」 博士課程を終えた人たちが就く任期付きの職。通常2-3年任期で、次の職の保証は一切ない。研究室の長がとってきた研究費で雇ってもらう場合、自分で学振などの予算を確保する場合がある。前者はプロジェクトのタスクをこなすことになるので、後者に比べて自由度は低い。 *注釈3「テニュアトラック」 終身雇用(テニュア)の可能性がある研究職のことをさす。このポジションをとる過程がもっとも競争が熾烈で、「ポスドク」から「テニュアトラック」に変身すると狂ったように喜ぶ。採用から5年後に審査があり、審査に通ればテニュア、落ちれば解雇。この段階では、論文数、発表雑誌、外部研究費獲得額が主な審査対象となる(+授業評価、学内委員など)。