海外で研究をするということについて

日本学術振興会の海外特別研究員制度を利用して、アメリカのミネソタ大学にて研究し始めてから1年半が過ぎました。予算の終わりも見え始め、次のポストを決めないといけない時期です。そこで、今までに感じた海外研究のメリット・デメリットをまとめておこうと思います(ただし、私の意見はあくまで派遣先であるミネソタ大学を見ただけですので、他の大学ではまた違ったものが見えてくるかもしれません)。

メリット

世界的に著名な人の話を腐るほど聞ける

これはどれほど一般的かわかりませんが、私の派遣先であるミネソタ大学では毎週外部(ときに内部)から演者を招くセミナーシリーズがあります。このシリーズにはだれでも名前を聞いたことのあるような大御所から、飛ぶ鳥を落とす勢いの若手研究者までさまざまです。こうした世界レベルの研究の話に常日頃から触れられるのは大きなメリットです。

コネクションが広がる

海外の人とのコネクションが広がるというのも大きなメリットだと感じます。やはり島国日本というのは海外から断絶されており、海外にくると如何に閉鎖的な環境のなかで研究をしているかがわかります。アメリカ(おそらく欧州も)も国内のつながりのほうが強いのはそうなのですが、日本のそれと比べると国際的な影響力が月とスッポンです(そもそも科学者の数が違うので)。やはり横のつながりというのはとても大事で、査読するときにも「顔が分かる人の論文」と「全く顔が分からない人の論文」を読むのとではだいぶ印象が違う気がします。科学の質が本質であることはもちろんなのですが、「RejectかRevisionか」の瀬戸際に立った時、それまで如何に「世界に向けて」顔を売ってきたかが結果を分かつこともあると思います(特にScience, Nature, PNAS)。

組織的に動く

他に学んだ点としては、組織としての合理性を常に考えている、という点です。日本では一人で研究をがりがり進めているという感じですが、アメリカではポスドク・ドクターの学生にも大体Undergraduateがついており(雇用)雑用をやってくれます(サンプル処理など)。Undergraduateとしてもこうした経験がないと大学院に入る際のEssayなどを書くのに困るそうで、毎夏募集をかけるとがんがん応募があるようです(雇用先の研究室のボスが推薦書も書いてくれる;大きな問題がなければ)。なので、需要と供給が一致していて、システムとしてうまく機能しているように思います。日本の個人プレーに依拠するスタイルも好きなのですが、こうした組織的なやり方のいいところを積極的に取り入れていくべきなんだろうなぁと思います(欠点は後述)。

デメリット

暮らしにくい

発展した国であるアメリカでさえ、自分のなれた生活から離れるというのがこれほどストレスフルとは思いませんでした。当たり前のことが当たり前でなくなるので、なにもできない小学生に戻った気分になります。

フィールドデータがとりにくい

実証屋は特に強く感じると思います。地理感覚、調査許可の取り方など、すべてが違うのでほんとに面倒です。特に、アメリカで絶滅危惧種を扱う場合、絶望的に手間がかかります。私の場合、結局州政府からいただいた広域データをベースに補助的な実験をするという形で研究を進め、何とか形にしました。

英語の壁はおおきい

それなりに練習し、国際学会程度のコミュニケーションでは問題ないレベルで渡米したのですが、それでもしんどいです。飲み会の会話にまったく入っていけず、これといって「友達」といえる友達ができません。私の場合、最初の一年ルームシェアしていたスペイン人とその周りの人々、ラボで一緒に研究を進めた数名、アパートの隣人(同じ大学)くらいです。もっとソーシャルな人間でありたい。

オリジナリティをもった人間は実は多くない

実はこれが一番ショッキングでした。アメリカというと「みんなすげー優秀;オリジナリティーばりばり」みたいなイメージを勝手に持っていましたが、実際のところ誰かのアイデアの二番煎じが多くてその点はがっかりです。院生も雇われる形でプロジェクトに従事することが多いのでそうならざるを得ないところもあるのですが、日本のほうが学生個人の味が出てることが多いなぁと感じます。ただ、アメリカではビッグプロジェクトをバックボーンにした学生研究が多いので、本人にそれほど力があるように見えずともホエーといいたくなるような雑誌に論文が載ってたりします。こういうのを見ると、あー、科学の本質ってなんなんだろう、、、と思います。

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岩手県・安家川のカワシンジュガイについて

絶滅危惧種カワシンジュガイの産地として有名な岩手県・安家川において、カワシンジュガイの移植が行われていることを知りました(Link)。2016年の台風被害を受けて河川改修の必要が生まれ、その過程でカワシンジュガイの生息地が改変されることになったためのようです。この件について、カワシンジュガイの生態を研究してきたものとして思うところがあったので、簡単にまとめたいと思います。

イシガイ類の移植

まず最初に、イシガイ類に関しては、「移植」が効果的なケースはごく稀である事実を抑える必要があると思います。北アメリカのイシガイ類では、これでもかというくらい多くの移植失敗の事例があり、移植先で激減するか、完全にいなくなるかのいずれかである場合がほとんどだとされています(Haag 2012)。遺伝的ボトルネックなどを経験している場合を除き、「移植あるいは人工繁殖個体の導入は失敗する可能性が極めて高い」と認識すべきでしょう。このため、安定的に維持されている集団に対して移植を施すことは、社会的背景が許す限り避けるべきと思います。しかし、今回の安家川のケースのように、移植以外の選択肢がない場合も多いので(むしろこちらの方が多数派?)、希望の持てる移植をするためにはどうすればよいかを考える必要があります。この場合、結論としては、「より上流の生息地の中で、カワシンジュガイの集団が現在も維持されている場所に移植する」というのがもっとも現実的な選択肢だと考えています。その理由は以下の二つです。

理由1 個体の供給を通じ、上流の集団がより下流の集団を支えている

それぞれの集団は自立的に維持されているわけではなく、少なからず他集団から移動してくる個体に助けられています。川の場合、上流方向と下流方向の移動がありますが、カワシンジュガイの場合は下流方向の移動が卓越していると考えられます。なぜなら、カワシンジュガイが上流に移動できる期間は、宿主であるヤマメに寄生している幼生期(一か月程度)だけであり、数十年にわたる余生は水流にさらされ続ける底生生活者として暮らすからです。実際に、ヤマメによる上流への移動は限定的であり(Terui et al. 2014a, Terui et al. 2015)、“上流の集団がより下流の集団を支える”集団構造を持つことが既存研究から示唆されています(Terui et al. 2014b)。数十年から数百年という時間をかけて上流へ進出し、それらがより下流の集団を支える―これがカワシンジュガイの基本的な集団維持の仕組みになっていると思われます。以上の理由から、「より上流の生息域のなかから移植先候補を探す」というが最初のステップになると思います。

理由2 カワシンジュガイの生息適地は彼らにしかわからない

では、上流の生息域のなかからいかに候補地を絞ればよいのか、という話になります。実は生息適地の判断が非常にむずかしく、現状では「カワシンジュガイにしかわからない」というのが本音です。このため、すでにカワシンジュガイの集団が維持されている場所を候補とするしか選択肢がないように思います。もちろん、カワシンジュガイを含むイシガイ類の生息適地を明らかにしようと試みた研究はたくさんあります(Strayer 2008、Haag 2012の総説を参照)。ですが、確証をもっていえることといえば、「コンクリートや岩盤は無理(当たり前)」「あきらかに水質が悪い場所は無理」「洪水時にも安定している場所がいい」くらいです。他にも、河床間隙中の水質(Strayer and Malcom 2012)や河床の細粒土砂の影響(Geist and Auerswald 2007)を指摘する研究はありますが、そうした場所を選ぶには労力がかかりすぎますし、選んだとしても成功する保証はありません。労力と見返りを天秤にかけると、すでにカワシンジュガイの集団のある場所を探すのが手っ取り早く、かつ成功する可能性もわずかながらあると思われます。

まとめ

現場の情報が全くない中でよりマシな移植先を探すには、上の手順に従うのが無難と思います。一方で、もし現場で詳細な生息環境情報などが集積されているならば、その知見にそって進めるほうが良い場合もあると思います。ただし、イシガイ類は、基礎生態に関してわかっていないことの方が多いので、いずれの場合でも(カワシンジュガイに関しては)上に書いたことは心に留めてほしいと(あるいは社会的背景がそれを許すことを)願うばかりです。また、今回、岩泉町の天然記念物であるカワシンジュガイが、どのような過程を経て「移植」という決断に至ったかを把握する術はありませんが、さまざまな社会的制約のなかで苦渋の決断をされている方々もたくさんいらっしゃると思います。そうした方々の心労・保全の精神が報われる日が来ることを願います。

引用
Geist J and Auerswald K. Physicochemical stream bed characteristics and recruitment of the freshwater pearl mussel (Margaritifera margaritifera). Freshwater Biology 52: 2299-2316.
Haag WR (2012) North American Freshwater Mussels: Natural History, Ecology, and Conservation. New York, USA. Cambridge University Press
Strayer DL (2008) Freshwater mussel ecology: a multifactor approach to distribution and abundance. London, University of California Press
Strayer DL and Malcom HM. (2012) Causes of recruitment failure in freshwater mussel populations in southeastern New York. Ecological Applicatioins 22: 1780-1790.
Terui A and Miyazaki Y. (2015) A “parasite-tag” approach reveals long-distance dispersal of the riverine mussel Margaritifera laevis by its host fish. Hydrobiologia 760: 189-196.
Terui A, Miyazaki Y, Yoshioka A, Kadoya T, Jopp F, Washitani I. (2014a) Dispersal of larvae of Margaritifera laevis by its host fish. Freshwater Science 13: 112-123.
Terui A, Miyazaki Y, Yoshioka A, Kaifu K, Matsuzaki SS, Washitani I. (2014b) Asymmetric dispersal structures a riverine metapopulation of the freshwater pearl mussel Margaritifera laevis. Ecology and Evolution 4: 3004-3014.

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自分だけでは論文なんて書けない

論文書きはそれなりにつらい

研究者を目指すうえで避けては通れない道、それは研究成果を投稿論文としてコンスタントに国際学術雑誌に発表することだ。研究者でない人からすれば「卒論」とか「修論」と大差ないように思えるかもしれないけれども、投稿論文に求められる文章のクオリティと科学的妥当性は卒論や修論のそれをはるかに上回る。Nature、Science、PNASなどの雑誌はいわずもがな、その道の専門家しか知らないようなマイナーな学術雑誌であったとしても、文章・科学の質が低いとみられるといなや「掲載不可(リジェクト)」の判定がなされる(その論文はもうその雑誌に載ることはない)。研究者のいう成果の公表とは、この数か月から数年かかる査読を通り抜け、学術雑誌に論文が掲載されたことをいう。査読のプロセスを経ていない卒論や修論は、その意味においては研究成果を発表したことにはならない。実際のところ、結果を得るまでのプロセスよりも、「得られた結果をどうわかりやすく、科学として適切に、そしてインパクトのある形でまとめるか」のところで頭を抱える研究者のほうが多いのではないのだろうか。ここのプロセスをいかに生産的にこなすかが研究者として生き残れるかどうかを左右するようにも思える(がんばれ自分)。ポスドクとして数年過ごしてから、それなりに自分の力で「読める文章」書けるようになったという気はしている。しかし、「読める文章を書ける!」と思えるようになるまでは、それなりの苦難があったように思う。

博士号取得後に直面する苦難

博士号を得た人間が最初に直面する苦難は、「先生にみてもらわないと自分は読める文章を書けない」という自己暗示をいかに解くかだろう。私は修士学生として大学院に入ったころ、論理的な文章を書く能力はほぼ皆無で、それはもうそのころの自分の書いたワードファイルを今開きなおしたら顔が真っ赤になりそう。当時、指導教員であった先生にはじめての論文を提出したところ、ずいぶんBOKOBOKOにされて帰ってきたのを覚えている。M1の冬、修士一年目で集めたデータをまとめた投稿(するつもりの)論文だった。そんなやり取りもありながら、なんとか次の年の春にはある国際学術誌への投稿までたどり着いたのだが、「そうか、自分は先生に見てもらわないとろくすっぽ文章を書けないのだ。。。」という意識を強く持ってしまっていた(実際そうなんだが)。この感覚は博士課程の終盤になってもなくなることはなく、果たして自分は自立した研究者とやっていけるのだろうかという疑念でいっぱいだった。しかし、ポスドクで別の研究室へと移った頃から、この自己暗示にもにた感覚は次第に瓦解していった。そのきっかけは「先生に見てもらわずに論文を投稿し、ちゃんとアクセプトされたこと」だったと思う(お金がなく英文校閲にもかけなかった)。まったくレベルの高い雑誌ではなかったのだが、それでも「なんだ、自分でもきちんと読める論文を書けるじゃないか」という自立心が生まれ、そのころから論文を書くことがより楽しくなったのを覚えている。思えば、学生の頃の私は「先生の顔色を窺うように」論文を書いていた気がするので、あれはまったくよくなかったと思う(私の意識の問題として)。

どうコメントしたらよいのか

こう思う一方で、今、自分が曲がりなりにも学生の書いた文章をみる機会が増えてくるとともに、いったいどのようなコメントの仕方をしたらよいのか、というところで悩む。論理的な文章構造ではない、英語がひどい、、、(過去の自分を棚に上げて)正直な感想としてはこのような言葉が浮かんでくることも多い。そのようなオブラートに包まれていない言葉を直接浴びせた場合、上に述べたように、場合によっては当人の自立を妨げ、そして自尊心を傷つけかねない。一方で、現状での能力不足を自覚してもらうためにはあえて直接的に言った方がよいのではないか、とも思う。この拮抗する問題のバランスをとるためには、添削者と学生の間で、「せっかく面白い発見をしたのだから、添削を通じて文章の質を上げ、より多くの人に読んでもらえるようにしよう」という共通認識をもつことが大事ではなかろうか。添削者がこの認識を欠くと、必要以上に辛辣なコメントを書いたことに気づくことができず、単なる人格否定ともなりかねない「修飾語」をつけてしまう。添削を受ける側にしても、発見そのもの、時には人となりを否定されたと受け取りがちになるだろう(私がそうであったように)。こうなると、添削はただ自尊心を傷つけるだけの不毛な作業へと転じることを忘れてはならない、と強く思う(自戒を込めて)。

VISA手続き備忘録

USのビザ手続きに関する備忘録。USのビザの手続きはすごく面倒です。必要書類はこちらにまとめてありますが、手順がわかりにくいので、こちらにまとめてみます。私の場合、海外学振のプログラムで(J1ビザ)2017年4月に渡航したときのタイムラインになります。

渡航前

2016年10月 DS-2019の手続きを開始する

まず受け入れ先の担当者と連絡をとり、DS-2019と呼ばれる書類(米国における長期滞在証)を手に入れます。DS2019の申請にあたり、米国滞在中のスポンサーからのレターが必要になりますので、それらが揃い次第コンタクトをとるのが良いかと思います。私の場合、2016年の10月末にスポンサーからレターをもらい、即座に連絡をとって準備を始めました。しかし、大学の国際担当部署が動かず、結局12月末にDS-2019が発送され1月上旬に届くという結果になりました。なお、2015年から英語能力に関わる証明が必要になっています(大学によっても基準が違うようです)。TOEFLやTOEICのようなものでスコアを持っていない場合、大学教員との面接をパスする必要があるので、早めの準備が必要です。

2017年1月中旬 DS-160の入力

DS-160は、渡航者の個人情報などを入力するフォームです。かなり長いストレスのたまる作業ですので、時間に余裕をもって取り組むことをお勧めします。最後のほうで*SEVIS IDと*Program Numberの入力があるのですが、これらはDS-2019がないと入力できません。そのため、DS2019を早めに手配するのが重要です。DS-2019が届かない場合、SEVIS IDは「N000000」はとし、Program Numberは受け入れ先の担当者に問い合わせて入手するという手段があるようです(参照)。

*SEVISとはStudent and Exchange Visitors Information Systemの略で、留学生(F-1:一般留学生、M-1:職業トレーニング生)や交換留学生(J-1)の監視・取締りを目的としたシステムのことです。その登録(支払いアリ)にはDS-2019に記載されている情報が必要。
*Program Numberとは、DS-2019に記載されている交換留学プログラムの識別番号になります。

2017年1月下旬 ビザ申請料金の支払いおよび面接予約

DS-160とDS-2019がそろえば、あとはビザの申請料金を支払い、面接予約(こちら)とることになります。ここまでくればだいぶ楽になりますが、この面接予約には少し注意が必要です。というのも、主要都市以外(東京など)の大使館では、それほど頻繁に面接が行われていません(私が面接した札幌では月2回程度)。そのため、そもそも日程を調整しずらいうえに、面接枠が埋まるのが早いです。東京なども面接枠が埋まりやすいことに変わりはないと思いますので、これまた早めの準備が肝心です。なお、申請先の大使館によると思いますが、面接前にパスポート以外の書類を事前郵送することになる場合があります。札幌大使館の場合、面接予約をすると空のレターパックが送られてきたので、そのなかに書類を入れて返送しました。

*提出書類の中に証明写真の提出が含まれるのですが、この規格に対するこだわりが半端ないです。すこしでも企画からはずれると(背景が白でない、など)自腹で撮り直しになるので、最初からビザ用の写真をとっている写真屋さんで撮ることをお勧めします。

2017年2月上旬 面接

札幌大使館の場合、面接は英語で行われていました。ですが、私の時の担当者の方は大変フレンドリーな方で、日本語もペラペラでした。アメリカ行くんだから英語の練習をしよう、くらいのノリで英語面接にしていました。何をしに行くんですか?とかその辺の普通のことを聞かれるので、研究分野名などに言及しておけば問題ないと思います。面接が終わると提出した書類一式は返却され、パスポートだけ後日郵送されてきます(ビザが添付される)。私のときは1週間強で届いたと思います。

渡航後

入国時

入国時には、「ビザ」と「DS-2019」の両方を入国管理官に見せる必要があります。このとき、キャリーケースなどにDS-2019を入れてしまうと別室行きになるので(最悪入国拒否?)、「ビザ」と「DS-2019」のどちらも携帯して飛行機にのるようにします。

入国後

J1ビザの場合、プログラム開始予定日から30日以内に米国に入国する必要があります。ただし、渡航者が大学の国際部署に入国の届け出を出し、大学から管理局に連絡がいくので、実際には10日~20日以内と考えておいた方がよさそうです。この期限に関しては受け入れ先の担当者に聞くのがよいと思います。ついたばかりのころは右も左もわからないので、余裕をもって到着しておくことをお勧めします。

入国後の住まい

住まい探しが最初の難関です。たいてい、大学のHPなどに居住先などに関するリンクが張ってあり、そこから探すのも一つの手です。私の場合最初の1週間は一時居住向きのアパートを探し、2週間ほどそこに滞在しました。1日30ドル前後で泊まれるので、この間に現地のアパートを見て回る、というのが現実的かと思います。私の場合、その後に教授があっせんしてくれたため、アパート探しは何も苦労せずにすみました。現地の院生とルームシェアから始まり、現在はスペイン人のポスドクとルームシェアしています。日本人ではないですが、人によっては最初の数週間はボスの家に転がり込み、その間にアパートを探している人もいるようです。

一時出国

一時出国の際は、DS-2019の右下にあるTravel validationという欄に国際部署の担当者によるサインが必要になります。これがないと再入国の際に大きな問題となり、最悪入国拒否される場合もあるようです。こちらに怖い経験談がありますので、一度目を通すとよいかもしれません。私も以前、このTravel validationの存在に出国前日に気づき、なくなく国際学会参加の全日程をキャンセルする、という悲しい事態に陥りました。学生にはオリエンテーションなどで広く周知されているようですが、ポスドクには明確に周知されない場合もあるようですのでお気をつけて。

魚釣りをする二枚貝

ときに生物は、人の想像も及ばないような進化を遂げていることがある。河川や湖沼にすむ淡水二枚貝のイシガイ類(Unionoida)は、その一つだと思う。

イシガイ類は世界で約800種が知られており(Strayer 2008)、そのほとんどが寄生生態をもつ。親貝自体はよく見る普通の貝なのだが、その幼生は魚(両生類の場合も)に寄生する。雌貝の中で成熟した幼生は水中へ放出され、周囲の魚に寄生する。寄生期間の長さは種によって様々だが、数週間から数か月であることが多い。特定の魚種しか利用しない貝(スペシャリスト)もいれば、選り好みしない貝(ジェネラリスト)もいる。なぜ寄生生態が進化したのかについては諸説あるが、移動分散のためなのはほぼ間違いないであろう。二枚貝は移動能力が低いので、魚にくっつくことで遠くへ移動できるという寸法である(Terui et al. 2014, 2015)。こうした寄生生態をもっているというだけでも十分驚きである。

しかし、下の写真、ちょっとしょぼい小魚に見えると思うのだが。。。

これをすこし引いて写真をとるとこうなる。

そう、この二枚貝は、まさに「ルアー」を作り出したのである。この二枚貝はLampsilis cardiumという種で、オオクチバスなどの肉食魚を宿主とする二枚貝である。ルアーの陰には寄生する準備のできた幼生がたんまりと仕込まれている。このルアーをエサと勘違いしてオオクチバスが攻撃した瞬間、”ぶわっ”と幼生を放り出して寄生するのだ。二枚貝とは思えない精巧な擬態と寄生戦略である。

川に潜ると、こんな感じでディスプレイしている様子を写真に収めることができる。いずれもL.cardiumである。

擬態は小魚に限られたものではない。ザリガニ、巻貝、イトミミズ、はてには「釣り糸まで作り出し、その先でルアーを泳がせる」二枚貝までいる。こうした寄生戦略の多様性はUnio Galleryにまとめられており、これを見るだけで壮大な進化の歴史に思いを馳せてしまう。いったいなにが、この二枚貝の異様な進化を引き起こしたのだろうか。いまだ謎に包まれたままである。

イシガイ類の多様性はミシシッピ川流域が群を抜いており、200種を超える(Haag 2012)。そして、極端な擬態が観察されるのも(今のところ)この地域だけだ。日本にも17種のイシガイ類がいるが、疑似餌を進化させた種はいない。そして、同じ北アメリカでも、ミシシッピ川流域を離れると、途端にその多様性は著しく低下し、疑似餌を持つ種はいなくなる(この辺は不正確;少ないことは確か)。ざっくりとした仮説としては、最終氷河期に氷河におおわれなかったため、多様性が高いとされている(これは二枚貝に限った話ではないけれども)。しかし、それだけではまったくロマンがない。なにかもっと面白いことが起きているはずである。そう思ってアメリカに来て、もう半年がたつ。いくつか面白いことはありそうなことが分かってきたが、それを実証するためのアプローチが思いつかない。苦悩は続く。

※残念ながら、イシガイ類は世界的に減少傾向にあり、北アメリカでは70%の種が絶滅危惧種あるいは要注意種になっている。日本でも17種のうち13種が絶滅危惧種もしくは準絶滅危惧種である。

Strayer 2008 Freshwater mussel ecology: a multifactor approach to distribution and abundance. University of California Press

Haag 2012 North American Freshwater Mussels: Natural History, Ecology, and Conservation. Cambridge University Press

Terui et al. 2014 Dispersal of larvae of Margaritifera laevis by its host fish. Freshwater Science 33:112-123

Terui et al. 2015 A “parasite-tag” approach reveals long-distance dispersal of the riverine mussel Margaritifera laevis by its host fish. Hydrobiologia 760: 189-196

Ecology主要ジャーナルの論文の長さ

長い論文がよい?それとも短い論文がよい?

内容はともかく、やたら長い論文を読むとものすごい時間がかかるので嫌気がさすことがある。そんな話をスペイン人のルームメイトに話をしたら、彼はものすごい長い論文を書くタイプの人だった(げっ)。はてさて、私は結構短い論文を書くタイプの人間だと思うのだけど、それは実際のところどうなのだろうか、とちょっと気になった。そこで、Ecologyの主要ジャーナルについて論文の長さを調べてみた。

IntroductionとDiscussionの比較

とりあえずIntroductionとDiscussionの比較からしてみよう。感覚的にはDiscussionのほうがやや長くなりがちだと思うのだが、いったいそうなのであろうか。以下の7誌(Ecology, Ecology Letters, Ecosystems, Journal of Animal Ecology, Oikos, Oecologia, Proceedings B)から直近の10報を無作為に取り出し、それらの各セクションの長さの統計を取ってみる。

この図のx軸は、Introduction(黒線)とDiscussion(赤線)のワード数を表している。Journalに関係なく集計したもので、縦軸の高いところほどそのワード数(x軸)の論文の頻度が高いことを意味する。こうしてみると、やはりIntroductionよりもDiscussionのほうが概して長い傾向にあることがわかる。それぞれの中央値は、Introductionが876 words、Discussionが1454 wordsであった。これらの値を超える場合、それは全体の50%分位点より高いことになるので、比較的長い論文ということになるだろう。ちなみにIntroductionに限定すれば、1000 wordsを超える論文はほとんどなかった。

Journal別にみてみる

さて、文章の長さには、Journalによる傾向はあるのだろうか。まずはIntroductionからみてみよう。

上の図は、白丸は平均値、バーがSDを表している。Journal of Animal EcologyからProceedings Bの順に短くなっていた。Royal Society系は短い論文が多く、BES系はぐだぐだ長い論文が多い印象を受けていたので、この結果は納得がいく。

次はDiscussionについてみてみる。

EcosystemsからOecologiaの順に短くなっていた。Ecosystemsは極端に長く、Oecologiaがやや短くなっていた。他はおおむね1500 wordsのあたりに落ち着いていた。1500 wordsが適度なのだろうか。私は長すぎると思うのだが。。。

自分の論文と比較する

自分が書いた直近2論文と比較してみる。
Ecosystems – Intro: 694 , Discussion: 909
Proceedings B – Intro: 772, Discussion: 1011

いずれも中央値より全然短い。やはり短く書くタイプだった。

意味するところ

上の統計の意味するところはそれほど深くはないだろうけれども、論文を書く際のちょっとした参考値にはなるのではなかろうか。すくなくとも上記のJournalに投稿され、受理された論文については、上に述べたword数くらいの説明は必要とされることが多いということだろう。あまりにもこれらの統計値から外れる場合、極端に説明不足か、過剰な説明になっている可能性がある。ただし、各Journalから10報ずつしかサンプルを取ってきていないので、サンプル不足による統計力不足は否めないのであしからず。

読みやすい英語を書くための四つの”べし”

英語しんどい

論文を書くにあたって、日本人がぶち当たる最初で最後の壁は「英語」である。これはどうしようもない壁であるが、どうにかしないといけない壁でもある。そこで、大学院時にネイティブの先生に教えてもらった読みやすい英文を書くための覚書(+自身の経験則)を(自戒を込めて)残しておこうと思う。

1.主語と動詞のつながりをすっきりと見せるべし

ついついやってしまいがちなのが、なが~い主語。これは全然だめらしい。私がよく指摘されたミス(意味は通るけどわかりにくい)は、クラウズ(whichなどの関係代名詞)をつかって主語を長々と修飾してしまうことだった。なぜダメなのか。その文の主役である「主語と動詞」が初見でみつけづらいからだ。でもそれだと正確な英文書けないよ!という場合。それはそもそも適切な文構造を選び損ねている可能性が高い。能動態・受動態のどちらがよいのか、”It is”から始まる文にした方がよいのか、同じ意味の動詞でも自動詞と他動詞をスイッチすることでどうにかならないか、、、etc。「主語-動詞」のつながりがパッとみえる文構造をひねり出す。これだけで、「論文の可読性」はグンと上がる。たぶん。

2.クラウズはパラグラフ当たり1個くらいに絞るべし

1とも関連するが、クラウズの多用は厳禁である。日本語と異なり、クラウズを使うことで補足情報をどんどん付け足せるのが英語の特徴的な部分の一つである(と私は思っている)。だけどそれに頼ってはいけない。なぜか。クラウズのあまりにも多い英文は、いったい真に重要な情報は何なのかわかりにくいからだ。たぶん、クラウズを使いまくっているうちに、書いてる本人も何が大事か忘れ去っている。

3.長い一文は避けるべし

長い一文、とくに意味のない重文は絶対に避けるべきだ。むやみにAndやAlthoughのような接続詞を使って重文にすると、それだけで「ん?」と思われる可能性が高まる。重文は、重ねることでさらなる理解が促される場合にのみ使う。Becauseなどの理由を説明する重文はOKな場合が多い。

4.同じ表現の繰り返しは避けるべし

これは上記の3つと比べると重要度は低いが、できるだけ同じ構文やワードを連続して使うのは避けたほうが良い。これは言語的な特徴かもしれないが、英語は極端に同じ表現の繰り返しを嫌う傾向にある(気がする)。これを達成するためには、とにかく同じ意味でも複数のワードや構文を頭にストックしておく必要がある。これは今すぐどうにかなる問題ではなく、普段からどれだけ英語論文を(意識して)読んでいるか、ということに終始する。

だがしかし、冠詞はいつまでたってもわからん。

ジャックをジャァァックなどと呼んではいけない

アメリカにきてそろそろ半年がたつ。やはり一年目は苦労するだろうなぁなどと思っていたが、まぁ英語の苦労もそこそこに、一年目からデータが取れたので少し安心した。最悪の場合も想定し、データが全く取れずとも何とかなるバックアッププランも用意していたのだが、そこまでは至らなかった。よかった。

名前の発音

しかし意外なところで苦労した経験がある。それは名前の発音である。現在私が所属しているラボのボスは、ジャック(Jacques)という方である。EEB(Department of Ecology, Evolution and Behavior;現所属)のコーヒータイムなどで「ここではだれと仕事しているの?」と聞かれるので、ジャックだよ、と当然答える。が、十中八九は「え、だれ?」といわれてしまう。最初は、あれ、部署も同じだし知らないはずがないよなぁ、と首をかしげていたのだが、しばらくたって分かったのは、私の発音が「ジャァァック」のように変に間延びした発音になっていたためらしい。ジャックはジャッッ”クッ”くらいの心持で発音しないといけない。

う~ん、英語って、むつかしい。

不運なRejectを避けるために

主著の論文が10本を越えてから、やっとIF > 4以上の中堅雑誌(Ecologyの分野では)に載せることができるようになってきた。それまでもレビューに回ることはあったが、一度とてアクセプトにこぎつけることはできなかった。さて、その勝敗の差を分けたのはなんなのであろうか、と自分なりに整理してみる。ただし、以下は十分良い結果が得られている前提で、いかにその結果を美味しく料理するか、という段階であるのであしからず。

一般性の担保

これは言わずもがなかもしれないが、IF > 4になると、特定の生態系、あるいは特定の分類群にしか当てはまらないことが明らかな現象は、Editor Rejectを食らう運命にある。ただ、普通は一種、よくても数種しか扱えないと思うので、いかに現象論として一般化できるのかをイントロとディスカッションで大きく、かつ説得力のある形で打ち出せるかが勝負どころ。大きく出るだけであれば簡単だが、やはり説得力を持たせるためにはかなり綿密な既存文献のレビューが必要になる。

新奇性の見せ方

新奇性があるにも関わらず、ぐだぐだと長い文章を書き連ね、新奇性がイントロの後のほうに出てくるのはよくない気がする。重要な知見の欠落を早い段階で指摘し(できれば2段落目、遅くとも3段落目)、そのギャップをいかにインパクトのある形で見せれるかが違いを生み出す気がする。

手法の説明

ここは見落としていたポイントだった。適切な手法を使っていようと、それが読者に伝わらなければ、それはトンチンカンな理由からリジェクトを食らう原因となる。私はベイズモデルをよく利用するのだが、その利点をあまり説明しなかったがために、「古典的なモデルを使ったほうが良い」という理由からリジェクトされた経験が何度かある。最近は、GLMMなどと比較して、こうした大きな利点がある、というのを明記するようにしており、この理由によるリジェクトはグッと減った。何度も「おれの方が正しいのに!」と思ったが、思い返してみれば「自分の手法の正しさをわかりやすく記述していない」ことが原因にあったのだ。自業自得であった。

結果の書き方

これも盲点だったのだが、単に「~の有意な効果が得られた」ではいけない。「コントロールと比べ、3~4倍もの~が生じることがわかった」のような、定量的なインパクトを示す記述が必要。いわゆる普通のジャーナルとトップジャーナルのResultの書き方を見比べると、この点は雲泥の差があることがわかる。印象が全然違うのだ、きっと。

弱点のカバーの仕方

どんな研究にも弱点はある。だが、弱点をただ認めるだけでいいのは下のレベルのジャーナルだけのような気がする。いかに弱点を「弱点らしからぬフリ」で守り抜くかが実は大事なテクニックであるように感じる。いかにさりげなく、だけどしっかりと研究の穴をガードするのか、これはなかなか難しく、数をこなさないとできないのだろう(まだ検討中)。

Supporting Informationの有効活用

想定されるネガティブなコメントで対処できるものであれば、面倒くさがらずにSIのなかで「こういう場合も想定されるが、それでも同様の結果が得られる」といったような記述を加えておく。上のJournalになるほど、ちょっとしたネガティブなコメントが入るだけで、一発リジェクトの危険性が高い。そうなる前に、予防線を張っておくのが無難である。

英語力

とにかく文献を読み、片っ端からいい表現を盗み取るに限る(文自体コピペはいかんけど、あくまで英語表現)。つたない英語表現より、読みやすい表現のほうが絶対アクセプトされやすい。また、経験上、つたない文章は、英文校閲による改善も限界がある。一定ライン(ゼロベンでTOEIC700~800点くらい?)を越えた英文は、校閲者がきちんと意図をくみ取ってくれるので、よりよい英語表現を的確にSuggestしてくれる(これは自分の英語力の改善と共にひしひしと感じている)。結局自分自身の英語能力を上げるのは必要不可欠で、常日頃から意識して鍛えるべき能力という他ない。

「役立てるだけの能力がなかった」

ベイズの定理

統計の基本定理の一つである「ベイズの定理」が発表されたのは1763年。いまではGoogle検索のアルゴリズムにも採用されるほど重宝されているが(検索履歴を事前分布として使っているものと思われる;詳細は不明)、実際に実用化が進んだのは早くとも2000年以降だと思われる。ベイズの定理が発表された当時は、膨大な計算量が必要とされることから、「役に立たない」ものとみなされていたらしい。ベイズの定理の後に、Fisherにより最尤法なる画期的な推定手法が発表されると、その簡便性と正確性の高さから広い支持を得た。長い長い間、ベイズの定理が表立って利用されることはほとんどなかった。

マルコフ連鎖モンテカルロ

しかし、ごく最近になって、マルコフ連鎖モンテカルロなる逐次的な計算手法が開発された。これは、ベイズの定理と至極相性がよい。というのも、ベイズの定理における計算量の問題が、この計算手法によってかなり緩和されるからだ(※)。もちろん、手計算で行える範疇ではないが、近年のPCの計算能力をもってすれば、十分計算できるほどのものになる。「役に立たない」と思われていたベイズの定理に、やっと人類が追いついた。計算量の問題さえ切抜けてしまえば、ベイズのその他もろもろの利点が浮き彫りになり、各種研究分野で実用化が進んでいる。Google検索におけるベイズ推定の応用もそのひとつになるのだろう。

「今」役に立つ

「役に立つ」という言葉は、今目に見えている問題を相手にとった言葉なのだろう。役に立つ研究というものが、今後起こりうる未知の問題に対し、どれだけの示唆を与えてくれるのだろうか、と思う(「役に立つ研究」は、今の問題には役に立つけど、それっきりなんだろうなぁ)。「質の高い、けど今は役に立たない基礎研究」をサポートする姿勢というは、将来起こりうる不測の事態に対する先行投資とも思うのだけれど。税金を使っている限り、それは過ぎたお願いだろうか。参照:「なんの役に立つんですか?の暴力性

※ ベイズの定理の計算には、パラメーターpが任意の値をとるすべての事象の数え上げが必要になる。このため、普通の計算手法では、PCをもってしても不可能なほどの計算が必要になる。